1月を読む  2005年2月分  3月を読む

 02/26(Sat) 

《はじまりのはじまり》

 02/25(Fri) 

《おめでとう!愛》

 02/24(Thu) 

《たつみ着いたらいつも雨降り》

 02/17(Thu) 

《41歳の春だから、、、》

 02/17(Thu) 

《41歳の春だから、、、》

 02/13(Sun) 

《真昼間をつっ走れ!》

 02/03(Thu) 

《更紗亭》


2/3/(Thu)   《更紗亭》


節分と云えば、京都は吉田山の節分祭が懐かしいなぁ、、、。

13年強の京都暮しの4年ばかしは吉田山の中腹に棲息していたので、節分と聞くとふと当時のことが頭をよぎる。

すでに20年くらい前、、、二十歳そこそこの僕が予備校生と偽り借りた学生アパートから、たたきだされ2度目に移り住んだのが、吉田山のアパートだった。

その当時、一緒にバンドをやっていた連中(2人)もそこにすんでいたりで、賑やかに暮らしてはいたんだろうが、、、。
同じアパート内に覚醒剤中毒患者はいるわ、そいつにバンドのメンバーが襲われたりするわで、今だから笑えるけど恐怖におののくエピソードも数々。

山の中腹だったので、京都が一望できて夜景は綺麗だったけど下を見るとアパートの半分以上が墓に囲まれていて、歩いて帰宅する折など、どうしてもそこを通らなければならず、なんとなく不気味。だが、習慣は全てを凌駕するものでいつの頃からかすっかりなれていった、、っうか、慣れなきゃ帰れんもんね。

そこにも住み慣れた何年目かの頃だったかなぁ、、、初めて‘更紗亭’にカレーを食いにいったのは、、、。

その美味しさたるもの、(それは今でも変わらぬ訳だっけど)特に『すじ肉カレー』の虜になった僕はそれから頻繁に更紗に足を運ぶこととなったのが事のはじまり。

そこから16年たった現在。

更紗亭を経営している高原夫妻は、すっかり京都の僕の親代わりとなり、、、。
親というには申し訳のない年の差、でも2人は僕にとってやはり父母であり、ふたりの家は僕の京都の実家と呼ぶに相応しい、、、って勝手に強引に決めこんでいようがいまいが、冷蔵庫は勝手にあけられる間柄。

そして、僕が東京に出てきてからの約8年、ツアーで関西方面に出向いた時にはその時折のバンドマンや仲間を連れだって当然‘実家’に宿泊する。
今では、僕ぬきでも1度赴いたバンドマン達は高原家に行って泊まり、仲間たちは2人を僕と同じく父母と慕ってくれる。
夫妻に子供はいない、でもここ7、8年で2人にいったい何人の馬鹿息子&娘が増殖したことか?《当然一番馬鹿は僕です》

僕の仲間達は必ず2人ことを気にってくれて、当然ふたりも僕の仲間達を面白がってくれてる、、、きっと?
変な話だが、そんな赤の他人の2人がなんだか僕の自慢でもある。

16年前のいつかの或る日。閉店後の更紗で、とうさんとハイネッケンをしこたま呑んで話をした時のこと。

『カブちゃん、最期まで使えない気は使わないほうがいいよ』と云われたことがあった。
そいつに僕は時折々、いろんな場面で都合よく救われつづけている気がする。そしてそいつは昨今の僕の小さな歌となった、、、んなことはどうでもいいか?

とにかく、京都在住の折りから、ふたりの家だけでなく更紗亭をも我がものにして、何時間も居座って、カレーの王子様と化していた。


《そしてここからみんなへのメッセージ...》

その更紗亭が終わるのです、、、来月半ばに。
今日、かあさんに電話した時その旨を聞いて、、、。 予想だにしていなかったから、やはりショックは隠しきれず。
その存在があたりまえだと思っていた街の灯がひとつ消える事は寂しい限りです。
だけど僕に何ができる訳でもなく、、、。

この日記を覗いてくれている人で、まだ更紗亭にいったことのない(いや、ある人も)関西圏の人 もしくは、関西の人じゃなくても、3月の半ばまでに何か仕事で京都に立ち寄る機会があったりする人はぜひ更紗亭に足を運んで、そのカレーを食してみて下さい。誰がなんといおうが僕の中では京都で、いや世界一うまいカレーです。

四条高倉蛸薬師(たこやくし)に16年前から変わらない黄色い看板が出ています。

>

[携帯用]:  前回を読む /  次回を読む

2017年 /  2016年 /  2015年 /  2014年 /  2013年 /  2012年

2011年 /  2010年 /  2009年 /  2008年 /  2007年 /  2006年

2005年 /  2004年 /  2003年 /  2002年 /  2001年 /  2000年

©

ホーム夢日記ライブ情報プロフィール正夢日記ペーバーライブ今夜歌くらい

携帯用サイトはこちら

競馬結果