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 03/28(Fri) 

《楽屋にて》

 03/25(Tue) 

《Fearless Man》

 03/14(Fri) 

《フェリーにて》

 03/13(Thu) 

《Pride Of Someday》

 03/11(Tue) 

《REC ROCK》


3/14/(Fri)   《フェリーにて》


宇野港から高松に向けてフェリーに乗った。

幼少の頃に親父と乗ったフェリー。

休日に親父が『船、見に連れっちゃるけん』との誘いに喜び 勇んでこのフェリーに乗ったんだ。

そして辿り着いたそこは競艇場だった。

その時の僕がどんな船を思い描いていたかは別として当然ハ ズレの思いを胸中にだいていたことは間違いない。

子供連れでギャンブルに興ずることはさぞかし大変だったろ うなぁとは今となっては思うのだが、どうにもやさぐれた男 達のふきだまりににしかみえないその場所で、親父に抱く感 情は猜疑心のみだった。

そして、親父が舟券を買いに行く時、『ここで待ってろ』と 言われ、とっさに『捨てらすれる』と思い(そんな訳はない ん だが)僕は大声で泣いた。

親父は僕の出たその行動によってそのレースの舟券を買いそ びれ、その予想はみごと的中しそれはきっと万券だったに違 いない、、、とは今の僕の勝手な想像なのだが。

瀬戸内海の小島を煙草を吸いながらぼーっと眺めてそんな事 を想い出していた。

そして親父の事を思った。

親父が初めて倒れた時も、そして最期も僕は歌っていた。

なんとも薄情な行為だ。

勿論、何度となく東京と岡山を往復して病院には通ったが大 事なときはライブがあって僕はそれに穴をあけることは出来 なかった。

親戚の人には僕が歌舞伎俳優の息子でも無い限りこんな時に あいつは何をやってんだって言われてもあたりまえの状況に 違いなかったし、事実そうだったと思う。

でも言い訳でもなく僕は親父との約束を守ったんだ。

高校を卒業後、家出をして3年を経たある日、当時のアパート に親父が急に訪ねてきて狭い四畳半の部屋で1夜を過ごした。 そんなに対して会話を交わすこともなく、翌日起きたらそこ に親父の姿はなく残された置き手 紙にただ一言『歌え』とかいてあった。

これは親父との唯一、今も守れている僕の都合のいい約束な のだ。

フェリー窓外の景色を眺めながら突然やってきたそんな回想 に不覚にも少しだけ涙が出た。

僕は最期まで親父が大好きだった。

薄情な息子が3/8の命日を何日か過ぎた今、少々のおべんちゃ らも兼ねて、日記にはそうかいておこう。(笑)

全ては薄情息子の言い訳として。

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